地上に残った二人は一気に飛び上がってしまった月夜をポカンと見上げていた。
「なんかの混血?」
「空狐」
「え?」
 人間では出来ないその業を見てか、尋ねてきた夕実に簡単に説明すると夕実は顔を引き
つらせたまま、きょろきょろとしている月夜を見た。
「じゃ、体辛いんじゃないの?」
「なんで?」
「あのねえ。藺藤くん、犬神の一族でしょ? だったら、なおさらだって。犬神と狐って
相反するでしょ? 犬ったって雑食の狼なんだから」
「雑食」
 説明の役が交代したのには気づかずにずいぶんと簡単に言ったなあと夕実を見つつ夕香
は同じように月夜を見た。月夜はどうやら式神の指示を出しているようで指で何処かをさ
したり目を細めたりしている。
「そう。あんた達が仲悪かったのはそういうことも絡んでたの。犬神の一族で、確か、お
父さんが陰陽師の血を引いてて、お母さんが空狐? すさまじいね。体も辛いと思うんだ
けど」
「霊力の相反で?」
「うん、それもあるし、人間の体じゃ犬神の霊力と空狐の神気を持ってたら、暴れてるは
ずなんだけど」
「体の中で暴れてたら……、肉体が吹っ飛ぶ?」
「最悪ね。まあ、呪具でも持ってるんでしょう。抑制されてる」
 その言葉に溜め息をついて月夜の顔色を見た。最近はずっと真っ白だったのに、頬に血
の気が戻っている。
「夕香」
「うん?」
「あっちに新手だ。乗せろ」
「パシリ?」
「お前の役目だ」
 電柱から飛び降りた月夜は夕実と夕香の前に降り立って肩をすくめた。夕香はむくれな
がら狐になった。
「じゃあな」
「うん。終ったらあそぼ」
「時間があればな」
 肩をすくめながら返して夕香の背に乗った。夕香も手を振る代わりに尻尾を振って月夜
が言っている穴の場所に向かった。
「体は平気?」
「ああ。耳鳴り後の方が調子がいい」
 両腕につけた呪具に触れると、水晶の方だけ熱くなっていた。目を向けると少し黒ずん
でいる。
「夕香、ストップ」
「なによ?」
 とめてもらって誰もいなさそうな民家の外の蛇口をひねって水を出すと身につけたまま
水晶を水で流した。夕香も人の形に戻って首を傾げた。
「何してんの」
「教官のだから、壊したら怖いなって思っただけ」
 流水の浄化である。もう片方の手にある水神の勾玉も反応して同時に浄化されているの
がわかった。おそらく、この陰気のなか、普通に行動できるのはこの呪具達のおかげだろ
う。
「なあ」
「ん?」
「教官って、このこと見抜いていたと思うか?」
 はっきり言って、夕香を奪還する際、この呪具はなくてもあまり変わりなかった。だが、
このことを見抜き、教官に会えなくなるような状況を見抜いて、その先にあるこの、異世
界への穴が開く事も見抜いていたとしたら、この呪具が必要だ。
「教官だからねえ、千里眼持ってるって話しだし」
 重い月夜の口調に付き合ってられなくなって軽く言うと月夜は一つ溜め息をついて穏や
かに、そうだなと笑った。その横顔が何処か悲しげに見えて首を傾げた。
「夕香」
 静かな声。振り向くと月夜が珍しく思いつめた目をしていた。いつもならば、感情の色
すらあまり見せないはずなのに。
「どうしたの?」
「予知夢。見たんだ」
「ヨチム?」
「未来予知。未来を予知する夢を、見たんだ」
 静かな声で月夜は続ける。静かに夕香を見ている。その瞳には弱弱しい光が宿っていた。
「月夜?」
 呼びかけると月夜は目を伏せてゆっくりと首を振った。風がゆっくりとふたりの間を吹
きすぐ。
「薄野原の中、胡桃色の狐と黒い狐が倒れ、教官と、白空が対峙している所。兄貴と姉貴
と嵐と莉那。四人は結界に阻まれているようにその場に立ち尽くして何かを言っていた。
遠くには会の連中が同じように立ち尽くしていた」
「胡桃色と黒?」
「……。ああ」
 辛そうに頷いて月夜は夕香を見た。何か、悲壮なものが見える。夕香は月夜が言わんと
していることがようやく見えた。
 顔色を変えた夕香に月夜は思いつめた顔のまま夕香をそっと抱き寄せた。
「俺と、お前、かも知れない。……」
 夕実との会話でふとそれを思い出してしまったのだ。もしかしたら、この任務が終った
時、自分達はいなくなっているのかもしれない。
「大丈夫よ」
 その背に手を伸ばして軽く叩いた。何も言えずに月夜は目を閉じてその温もりに甘えて
いた。
「大丈夫よ。死なないよ」
「うん」
 幼子のように頷いて月夜はこみ上げてくる何かを必死に抑えていた。薄々と感じていた。
この穴を塞いだら白空の下に行かねばならないと。一言で言うと勘だが、それ以上に確か
なものがあった。
「大丈夫?」
「ん」
 少し鼻声なのに驚いて顔を覗くと涙をこぼしてないものの目を赤くさせている月夜がい
た。
「大丈夫だってね?」
 その顔にもらい泣きしながら夕香は笑って月夜の頬に手を伸ばした。抗う事もせずに月
夜はそっとその手に頬を摺り寄せた。滑らかな頬の感触が手の平に伝わる。
「最初っから死ぬ事なんて考えないの。予知たって変わるかもしれないし、第一気絶かも
しれないよ? 教官が兄さんぶっ飛ばしてしばいてくれれば万々歳よ」
「ああ」
 苦笑気味に笑みを浮かべて月夜は拳で目をぬぐって穴のある方向を眺めやった。
「行くか」
「うん」
 夕香がまた狐になって月夜がその上に乗った。そして人気のない住宅街には誰もいなく
なった。
 
 
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